結局、あまり続かずにいつの間にかつけなくなりました。
続かなかった理由は、本人がその有り難みを感じることができなかったことかなと思います。
即効性の効果があって、サッカーノートをつけた途端にグングン上手くなってたら継続していたと思いますが、世の中そんなに甘くはありませんでした。
僅かではありますが、海くんがサッカーノートをつける機会を経て分かったのは、サッカーノートの意味は前提としてサッカーしてるときに「考える」ことができていることがあって発揮されるものだと言うことです。
考えて練習に臨めば、その日に失敗したことをサッカーノートに記録して次に活かすことができるのですが、
練習中にボーッとしていて、「今日はどんな練習したの?」といった質問にろくに答えられない海くんにはほぼ意味がありません。
今でこそ、練習内容はかろうじて覚えていてくれるものの、その練習になんの意味があるのかなどは依然として関心がなさそうな感じです。
さてさて、サッカーノートの恩恵を受けるレベルにすら到達しない海くんですが、海くんの所属する少年団から、とうとうサッカーノートをつけるようにと指令が下されました。
コーチに言われちゃしょうがないといった顔でサッカーノートをつけようとする海くんですが、ノートを覗き見すると「楽しかった。」「難しかった。」など具体性を著しく欠いた感想文が羅列しています。
わたしはサッカーノートをつけるスタートラインに立たせるため、「考える」ことをお勧めしました。
もちろん、サッカーノートをつけるときに考えるのではなく、練習中に考えることを、です。
少年団の練習は必ず最後にミニゲームをします。
そのミニゲームでなんでもいいから目標を掲げて、その目標を達成するにはどうすればよいかを考えて考えてサッカーしてみ?と伝えました。
目標を達成するためにチャレンジして上手くいったこと・失敗したことを蓄積すれば、サッカーノートが活きてくると考えました。
そんなやり取りをした翌日に海くんの練習試合がありました。
見に行けませんでしたが、帰るなり海くんは「考えすぎてわけわからなくなったよ。」とぼやいてました。身体も頭もクタクタのご様子。
早速その晩にサッカーノートをつけている様子でしたが、考えまくって煙を出した成果?もあり、筆は随分進んでいたようです。
やっぱりサッカーノートのネタを仕込むには「考えて」プレーするという対応はまぁまぁ良かったように感じました。
別にサッカーノートをつけるためにサッカーを頑張るわけではないですが、結果として良い方向になりそうです。
サッカーノートがどれだけ続くのか、それとも三日坊主で終わるのか・・・。
また機会があれば、海くんが書いたサッカーノートの中身にも触れていければと思ってます。